ぴぃと2人、どちらからともなく、朝から晩まで、交互にくぅの話。
まるで、「くぅ」でキャッチボールしてるみたい。
2人の会話の中で、ぴぃが解明した事実が2つあります。
1)くぅが亡くなる前日の夜、ぴぃにお別れの挨拶に来ていたこと
2)くぅは病院ではなく、自宅で最後の刻を迎えることを望んでいたこと
2020-07-06
自宅のソーファーの上、ぴぃ手作り、くぅ専用ハウスの中で
これまでに経験したことのないほどの痙攣が始まった16時の時点では、
既に意識がなかったのではないかということです。
心臓は動いていたけれど、
すでにくぅは痛みや苦しさから解放された後だったのかもしれないんです。
冷静に思い返すと、
ぼくが、「くぅちゃん」と呼ぶ声に反応してくれていたのは
元気な2人に、ご飯と食後におやつのボーロをあげたときまで。
くぅにもあげたいけどあげれない。
後ろめたい気持ちで、ごめんねと、くぅに近づく。
「わかってるよ。僕も欲しいけど、大丈夫。もう食べれないよ」
その時のくぅの表情は、苦しみや痛みに耐えている印象は全くありません。
どこかあどけなく、素直で真っすぐな可愛いお目目が
病と闘っている状況下にあまりにも不釣り合いで強烈に印象に残っています。
あの時の真ん丸な目、どこかで見たことある。
そして見つけました。くぅが赤ちゃんの時の写真の目でした。
過去の写真を探している間にも
くぅとの想い出が涙とともに際限なく溢れてきます。
くぅにお別れにきてくれた皆様、
お花を手向けて下さった皆様、
メールをくれた皆様の優しさのおかげで
僕たち夫婦初め、残された家族「もん」「ちな」も
なんとか踏ん張って、悲しみを乗り越えようと
少しずつですが前に進んで...
恰好付けてごめんなさい。
本当は進みたくない。
実際に進めない。
ぼく、ウソ嫌いなんで。
ぴぃちゃんちの初代店主GENの過去のブログです。今現在はLINEなどのアプリ開発のお仕事をしています。御用命はこちらまで!genfukuhara@gmail.com